『マッドマックス』シリーズを振り返ろう。

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    『マッドマックス』シリーズを振り返ろう。

    2015年は、超大作が数多く公開されるビッグイヤー(毎年言ってる気がするが)になった。7月4日には、マーベルのアベンジャーズ・シリーズ最新作『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』が公開。その一週間後には、ターミネーター・シリーズ5作目の『ターミネーター:新起動 ジェニシス』が公開。8月7日には『ジュラシックパーク』シリーズの最新作『ジュラシック・ワールド』、年末の12月18日には『スター・ウォーズ』シリーズの7作目『スター・ウォーズ フォースの覚醒』(2015)……とまあ目白押しである。しかしこれら超大作の公開は、私にとっては極めてどうでもいいことでしかない。それには2つの理由がある。

    まず1つには、単純にファンではないシリーズばかりだから。なぜなら、上述の作品群は「CG依存のスタジオ映画」の代表であり、生身の人間が手作りのセットで作り上げる骨太な映画にだけ漂う「血と汗の匂い」が全く感じられないからだ。8割9割をスタジオ内のグリーンバックで撮影しているような映画は、観る価値がないとは言わないが、往々にして何ら得るものがないエンターテインメントに終始しがちである。
    2つ目の理由は、超大作という括りでは、私には1つの作品しか見えていないこと。その作品とは、70年代から80年代にかけて一世を風靡した、『マッドマックス』シリーズのリブート作、『マッドマックス 怒りのデスロード』(2015)だ。

    70年代の終わりに登場した『マッドマックス』(1979)が与えた衝撃は、凄まじいものだった。たったの(約)4000万円で製作された1作目は、荒廃した近未来で繰り広げられるイカれた男たちの狂気と暴力のぶつかり合いを鮮烈に描き、アクション映画ファンから絶大な人気を博した。1作目の成功を受けて、その10倍の制作費に当たる約4億円を投入して制作された『マッドマックス2』は、23億円を稼ぎ出し、アクション映画ファンに留まらず、多くの映画ファンを魅了。その影響は映画の枠を超えて、漫画『北斗の拳』や暴走族文化にも波及した。しかし、3作目の『マッドマックス サンダー・ドーム』(1985)の興行的・批評的にもイマイチな結果によって、オリジナル・シリーズは完結。ここから30年にわたる長い眠りにつく。
    しかし今年、遂に『マッドマックス』は30年の眠りから目覚めた。監督はこれまでと変わらずジョージ・ミラー。キャストはトム・ハーディ、シャーリーズ・セロン、ニコラス・ホルト、という豪華で新鮮なラインナップ。これはもう観るっきゃない!と思っていたのだが、ワーナーが試写状を送ってくれなかった……(・ω・)……ので未だに観ることができておらず、久々に映画館に行くことに(IMAXで観たいから寧ろ好都合か)。
    で、その一般公開が再来週の20日に迫っている。超真面目な映画ファンの私は、先週からオリジナル・シリーズを複数回にわたって見直しているのだが、新たな発見を含め、色々と思うことがあった。そんなわけで今日は、『マッドマックス 怒りのデスロード』公開前に、もう一度オリジナル・シリーズの3作を振り返ってみようと思う。

    (´・ω・`)<こっから長いよ

    まずは全ての始まりである『マッドマックス』(1979)について。ストーリーは、警察官マックス(メル・ギブソン)が、暴走族のナイトライダー(ヴィンス・ギル)を捕まえたことで、走り屋ナイトライダーが所属するト−カッター(キース・ヒュー・バーン)一味から付け狙われ、妻のジェシー(ジョアン・サミュエル)を殺された結果、復讐の戦いを始めるというもの。
    まず注目すべきは、オープニングのカーチェイス。ここでは、本作における唯一の良心と言えるチャーリー(ジョン・リー)が死ぬ。これが意味するのは、本作の世界では、彼のような「良心的な常識人」は生きることができないこと、つまり「狂気の世界へようこそ」という宣言だ。また、「死ぬ必要がない人間が死ぬ」ことは、鑑賞者が予期していないことの1つであり、本作が「そこいらのアクション映画とは違う」と感じさせ、物語に引き込むオープニングとして機能している。

    そんな本作が登場したのは1979年。思い返せば70年代は、個人による自警主義をテーマとする作品が多く登場した時代だった。クリント・イーストウッド主演の大ヒットシリーズ『ダーティ・ハリー』(1971)、チャールズ・ブロンソン主演でシリーズ化された『狼よさらば』(1974)、ロバート・デ・ニーロ主演の傑作『タクシー・ドライバー』(1976)などが代表的だ。これらの作品は、1960年から始まったベトナム戦争を通じて露呈された、「マシーン」(政府や公権力)に対する不信の感情に基づく、反権力の映画だった。超大国としてのプライドというくだらない理由で介入した挙句、ゲリラ戦に苦戦し、多くの若者を犠牲にしたベトナム戦争にイライラしていた映画ファンは、彼らの自警主義に沸きまくった。
    そんな時代の中にあって、本作はオーストラリア映画で、近未来のオーストラリアが舞台なので、当時のアメリカ映画に漂うベトナム戦争的な要素や雰囲気はない。しかし、警察を絶対的な正義として描かず、警察を抜けたマックスの個人的復讐(自警主義)をテーマとしている点で、先述の作品群と通じるものがある。オーストラリア映画でありながら、こうしたハリウッドの時代性を反映させ、そこに死をも厭わぬレベルのスタントが生んだド派手なカーアクションを織り交ぜ、斬新で狂気的なストーリーを構築したことが、アメリカにおける成功に繋がった要因だったと言えるだろう。

    次は2作目の『マッドマックス2』(1981)について。全世界に衝撃を与えた前作から2年、ジョージ・ミラーとメル・ギブソンが再びタッグを組んだ本作だが、前作直後に世界戦争が起こったことで、マックスが生きる世界は一変している。
    マックスは愛犬と共に、あてもなく荒野をさまよい、暴走族からガソリンを奪う生活を送っていた。そんなある日、マックスは、ヒューマンガス(ケル・ニルソン)率いる暴走族にたびたび襲撃されている石油精製所にたどり着く。偶然にも石油精製所の男を救ったマックスは、石油を運び出すためのトレーラーを探すという依頼を受けるのだが……

    実にどうでもいいが、マックスの寡黙さに拍車がかかっているのが笑える。セリフはたったの16行で、しかも同じセリフが2回ある(笑)。これだけ喋らない主人公は珍しいが、渋い表情と漂う哀愁で抜群の存在感を放つあたり、メル・ギブソンはさすがの演技を見せていると言えるだろう。
    そんな本作で注目すべきは、ヒューマンガスという巨悪のショボさ具合。映画雑誌や映画情報サイトでは、「ヒューマンガス様」などと表記されており、やたら大人気のキャラクターとして認知されているようだが、筆者にはさっぱり理解できない。なぜなら、彼ほどの出オチキャラは今日に至るまで見たことがないからだ。いや、マジで。当然、後に某「ジャギ様」のモデルとなったほどのビジュアルは凄まじいインパクトと「ヤバそうなのが出てきたねえ!」と期待を抱かせる。が、彼はストーリーを追うごとに無能っぷりを露呈していく。

    例えば、ボスキャラとしてのインパクトのなさには唖然とするほかない。彼は最後の最後まで、「こいつやべえ」と思わせるアクションを起こさない。寧ろ彼の部下であるウェズ(ヴァーノン・ウェルズ)の方がノリノリで「ヒャッハー!」していて印象的だし、血迷いがちなウェズを統率することができていないヒューマンガスは、組織化された悪の集団において「親玉」としての要件を満たしていない。なんとかウェズを押さえつけるのもチョーク・スリーパーというなんの捻りもないプロレス技で、単なる筋肉ダルマとしてのイメージを強調するだけ。しかも死に様は「えええええッ!?」となること必至のあっけなさ。お前は一体なんだったんだよ……と言いたくなる。
    しかし、彼は「引き立て役」としては意味のある存在だった。なぜなら、ヒューマンガスとマックス&石油精製所の人々の戦いでは、前作では描かれなかった、「戦う女性」の姿が明確に描かれているのだ。前作では、マックスの妻ジェシーが襲われたときに立ち向かうのだが、結局は殺されてしまった。本作における女性戦士たちのそれと大きく異なるのは、ジェシーが戦ったのは、男たちを倒すためではなく、身を守り、逃げるためだった。しかし本作の女性戦士たちは、男たちと共にヒューマンガスとの戦いに対して積極的に身を投じている。ハリウッドは80年代から、『フラッシュダンス』(83)、『エイリアン』(86)、『ダーティ・ダンシング』(87)といった映画に代表されるように、フェミニズムの時代を迎える。本作はその魁として、「強い女性」の姿が描かれていることに限っては意味のある作品だったと言えるだろう。
    その一方で、やはりアラが多すぎる。アクション面では、カーチェイスものでは全てに言えることだが、なぜ最初から車のタイヤを狙わないのか。これは西部劇における馬と同じで、「走る姿」を見せるために撃たれてはならない、という暗黙の了解があることが原因になっているが、「狂気」を標榜した本作にしては温すぎる。というか、そういったルールを「知るかバーカ!」と破ってこそ狂気を標榜し得るのではないか。また、女戦士の死に様、ヒューマンガスの最後、ここには何の悲劇性やドラマ性もない。注意不足で、死ぬべくして死んでいるだけだ。このあたりをどうにかして欲しいなあ……と思っていたのだが、3作目ではこうしたストーリーにおけるアラが多少は改善されている。

    その『マッド・マックス サンダー・ドーム』は、オリジナル・シリーズの完結編なのだが、評価はシリーズ中で最も低い。……なんでだよ!これが一番面白いよ!という筆者の怒りをここではぶつけさせてもらおう。
    前作から時が経ち、マックスは砂漠を放浪する旅人となっていた。オープニングではいきなり急襲を受け、手持ちをすべて奪われるといううっかりっぷりを披露。あれ?こんなうっかりさんだったかしら?と思っていると、マックスはバーター・タウンという物々交換で成り立つ街に流れ着く。支配者であるアウンティ(ティナ・ターナー)に腕っ節を認められたマックスは、彼女の依頼を受けて実質的に街を運営するザ・マスター(アンジェロ・ロシット)とザ・ブラスター(ポール・ラーソン)の暗殺を請け負うのだが……
    本作の一般的な評価が低い理由は明白だ。それは、子供を前面に出しまくったから。序盤ではシリーズに通じる狂気と暴力の匂いを感じさせるキャラクターや仕掛けが多く登場する過激なアクション映画だが、中盤以降は「アドベンチャー映画」に様変わりする。本作のストーリーの鍵を握るのも子供であり、必然的に子供にあわせたアクションやギャグの色合いが強くなっていく。この作風の変化が旧来のファンには受け入れられなかったところだろう。しかし、序盤でのマスター・ブラスターが見せる意外なドラマ性や、子供が登場することで形成されたマックスとの人間模様は、それまでの作品にはなかった厚みをストーリーに与えている。また、終盤にかけてのアクションは素晴らしく、特に列車と改造車が織り成すアクションは、命知らずのスタントによって、シリーズ屈指のハイレベルさで、目が離せない。

    筆者個人の意見をまとめると、1・2作目は、舞台設定や時代性、カーアクションは賞賛せざるを得ない一方で、ストーリー展開とキャラ設定に目に余る綻びがあり不満が募ってしまう。逆に、一般的には評価の低い3作目は、子供というモチーフを前面に押し出したことで、シリーズでは放棄されがちだった人間模様が形成された結果、ストーリーに厚みが出ている。つまり総合的に見ると、3が最も良くできていると思う。
    では、これを踏まえて、なぜ『マッド・マックス 怒りのデスロード』が注目に値するのか、そしてシリーズと比較考証して、最新作では何が描かれるべきなのかについて書いていこう。

    1つには、イモータン・ジョー(ヒュー・キース・バーン)という新ボスの存在。彼の魅力は予告編を見るだけで伝わってくる。
    https://www.youtube.com/watch?v=hEJnMQG9ev8
    イモータン・ジョーに関しては、予告編を観た多くの人が、「なんで白いの?コイツの部下も。女の子たちも白い服を着ているのはなんで?」と思うだろう。これについては、白という色が、古来より君主制を象徴する色と見なされてきたことが大きいと思われる。ネタバレしない範囲で説明すると、彼は水資源を独占しており、繁殖、栽培といったシステムを構築している絶対的な権力者、つまり君主だ。暴走族のボスでしかないトーカッター、略奪するしか能のなかったヒューマンガス、マスター・ブラスターを利用しているようで依存していただけのアウンティと比較しても、彼のボスとしての有能っぷり、絶対的な君主としての存在の大きさが窺い知れる。しかもキャラデザが凶悪すぎて、夢に出るレベル(笑)
    びっくりだが、実はイモータン・ジョーは、トーカッター役のキース・ヒュー・バーンが演じている。うーん、旧シリーズファンには胸熱。

    最後の理由は、本作がハリウッドにおけるフェミニズムと密接な関係を持つ作品であること。本作の筋書きでは、フュリオサ、ワイブス、マックスの連合軍は、イモータン・ジョーという絶対的君主の支配に対して反乱を起こす。これは、ハリウッドにおける男性優位主義に対して女性が起こす反乱のメタファーだと考えられる。というのも、ハリウッドには古くから今に至るまで男女間における格差があるのだ。それは給与に限らず、与えられる役の数、セリフの数など多岐にわたる。しかし本作は、ウォー・ボーイズ(イモータン・ジョーの軍団)という圧倒的な数の男モブキャラがいる一方で、セリフのある、しかもストーリーに大きく関わるキャラクターは女性の方が多いようだ。これは男女の人数のバランスをとるために、女性キャラを男性キャラに置き換えるなんて話は珍しくないハリウッドでは、極めて珍しいことである。
    本作をフェミニズムの映画と評している海外メディアも多いので、「女性の活躍」が中心的に描かれるのは間違いない。タランティーノやデヴィッド・O・ラッセル作品など「強い女性」の姿が描かれる映画が好きな人(俺)は、間違いなく楽しめるのではないか。いや、絶対に楽しめるはずだ。そう、一緒に楽しもう!

    つーわけで、20日の公開が待ち遠しい。絶対楽しめると思う。

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